HOME

DIME検証工房
DIME検証工房 TOP PAGE
ゴン川野 Selection
●幅101.5×高さ81.5×奥行き67.5mm、360g。有効画素数=5.0メガピクセル。レンズ=3倍ズームニッコールレンズ、f=7.1〜21.4mm(35mm判換算28〜85mm)、F2.8〜F4.8(7群9枚)。液晶モニター=1.8型低温ポリシリコンTFT液晶、11万画素、視野率:97%。電源=Li-ionリチャージャブルバッテリーEN-EL1×1本、V6リチウム電池(2CR5型)×1本、単3形(アルカリ・ニカド・リチウム・ニッケル水素)電池×6本(バッテリーパックMB-E5000[別売]使用)
http://www.nikon.co.jp

第4回 コンバージョンレンズの魅力 03.10.02 UP
第3回 Nikon vs Canon宿命の対決! 02.11.26 UP
第2回 超望遠レンズを使おう! 02.11.13 UP
第1回 Nikonの歴史 02.11.07 UP


 


大晦日も近いある日のことじゃった。モツ橋本がこう言いおった。
モツ「このデジカメは、なまらはんかくさい、こん値段じゃ、まかたしないべや」
ゴン「あったも! NikonCOOLPIX5000じゃ、すったら事いったらもったいないしょ」
モツ「したら、おまえさんのデジカメとばくりっこしよう!」
(北海道弁モードではわかりにくいので中止)
このような経緯を経て、モツ橋本がヨドバシカメラ西口マルチメディア館で購入したNikonCOOLPIX 5000は、アクセサリーも含めて格安でゴン川野の手に渡ったのだ。



[いきなり結論]

いつも前振りが長いので、今回はいきなり結論を書くのだ。「買ってはいけない」といっても週間金曜日ではない。その理由は液晶モニターがほとんど見えないとか、開放絞りが暗くてオートフォーカスが望遠側で遅いとか、そんな些末なことではないのだ。このデジカメがあまりにもニコン的だからである。では、ニコン的なカメラとはいったいどういうカメラなのだろうか! ということで今回はニコンの一眼レフの歴史について。デジカメのことを知りたい方は第2回から読んでいただきたい。

[始めにNikonFありき]

世界中のカメラマンに一眼レフカメラって使えるジャンと思わせたのが、ニコンFである。まず視野率100%これが効いた。デジカメの液晶モニターなら、当たり前なのだが(実は97%ぐらい)、35ミリフィルムを使ったカメラでは、レンズ交換しても、ファインダーをのぞいたとおりに撮影できるというのは、一眼レフだけの特権だったのだ。マクロ撮影、ズームレンズ、望遠レンズ、広角レンズなどをきちんと使うには一眼レフカメラが欠かせなかった。ズームレンズなんて一眼レフのために生まれたと言ってもいい。実はレンジファインダーカメラは、構造上、超望遠レンズのピント合わせが不可能だったのだ。また、超広角レンズのピント合わせも苦手だ。


Photo 01
ニコンFは1959年5月に発表された。しかし、これは究極のレンジファインダーカメラ、ニコンSPを開発するための技術検討から、開発がスタートしたサブプロジェクトだったのだ。レンジファインダーカメラとは、一眼レフカメラのようにミラーとプリズムを使ってレンズから入った映像をそのまま見るのではなく、レンズの撮影範囲とピントを合わせるために独立したファインダーを搭載したカメラのことである。世の中のカメラは大きく、一眼レフとレンジファインダーカメラに分かれているのだ。特殊なタイプで二眼レフというのもあるが、いまはほとんど使われていない。

実はニコンF以前にも一眼レフは存在したのだが、使い勝手が悪く特殊な撮影にしか使われていなかったのである。そして、35mmフィルムを使った世界最高のカメラといえば、ライカM3というのが、世界の常識だったのだ。そもそもライカが、それまではでかくて重いカメラに、映画用の35mmフィルムを使うこと思いつき、小型高性能なカメラを製品化したのだ。私はニコン馬鹿一代ではないので、ライカM3とバルナックタイプにミノルタCLEまで、ちゃんと使っている(photo 01

[カメラはレンズが命]


Photo 02

Photo 03
確かにM3のファインダーは感動的に明るく(photo 02)、これと比べるとニコンFのファインダーなんて暗くてザラザラだったのだ(photo 03)。まあ、2つを比べるとM3は明るいが、どこにピントが合っているか分かりにくく、ボケ具合が見えないという弱点が判明する。ニコンFのファインダーがそんなに暗くないのは、開放絞りF1.4という明るいレンズを使っているからで、これがF3.5になったり、暗い場所での撮影になると途端にピント合わせが難しくなる。画像は実際に両者のファインダーの一部をデジカメで接写したものなので、どちらも明るく見えるが、実際はニコンFの方が暗いのだ。とにかく一眼レフはレンジファインダーカメラに比べると重くて、暗くて、デカくて使いにくいものというのが世間一般の評価だった。それなのになぜ、繊細で華麗な操作系を持ったライカが破れ、ゴツゴツで無骨でゴリゴリの操作系を持ったニコンが生き残ったのか。

それは私見であるがレンズが原因だったに違いない。1950年に「ライフ」スタッフカメラマン、ダグラス・ダンカンという超有名なカメラマンが、朝鮮戦争取材のために日本に立ち寄った。その姿をニッコール8.5センチ/F2で、撮影したのが三木淳(日本人初の「ライフ」のスタッフカメラマン)である。でき上がった写真を見て、ダグラス・ダンカンは速攻で品川の日本光学を訪れた。なぜならプリントの仕上がりがあまりに素晴らしいので、彼は愛機ライカとニッコールレンズを徹底比較。その結果、3本のニッコールレンズを購入して朝鮮戦争取材に旅立った。この写真が「ライフ」に掲載されたことがきっかけで、ニッコールレンズの評価は高まり、ニューヨークタイムズで初めて日本のカメラの特集記事が組まれたのだ。こうしてニコンの名は世界の人々の知るところとなった。こうしてレンズと共にボディの評判も高まったのだ。といってもまだこれは一眼レフカメラではなかったが。

ニコンFは完全自動絞りとクイックリターンミラーの搭載によって、従来の一眼レフの欠点をなくし、Fマウントと呼ぶ大口径バヨネットマウントを採用した専用レンズを矢継ぎ早に発表したのだ。ニコンFはベトナム戦争の取材にも多く使われ、戦場ではクロームボディは反射して狙撃の的になるとの理由からブラックボディの一眼レフカメラが生まれたのである。

[レンズとボディは切っても切れない関係に]

バヨネットマウント以前のカメラはスクリューマウントと呼ばれた方式で、レンズを交換するのにいちいちネジをグルグル回していた。ライカはLマウントを開発して、クイッと回せばレンズを交換できるようにした。しかし、スクリューマウントであれば、ライカのボディにニコンや、キヤノンのレンズが使えたのだ。事実、ダグラス・ダンカンもライカ3fのボディにニコンのレンズを付けて朝鮮戦争の写真を撮ったのだ。


Photo 04
バヨネットマウントは専用マウントなので、一度レンズを決めると他社のボディに買い替えることができなくなる。ニコンの偉いところはFで採用したマウントを、F2、F3、F4、F5と一部に改良を加えながら現行モデルまで継承してきたことである。それどころか一眼デジカメにも使えるので、40年前のレンズを使ってデジカメで撮影することもできる。そんなメーカーは他にはどこにもない。レンズのデザインも素晴らしく、私はいまだに趣味でニッコールレンズを収集している(photo 04)。

[それから11年後にF2が生まれた]


Photo 05

Photo 06
1971年9月21日、ニコンF2が発売された。最高シャッター速度1/2000秒。高速モータードライブを裏蓋の交換なしで取り付けられ、操作系も一新、フォトミックSファインダーには低照度に対応した露出計が内蔵されていた。この頃、私はまだオリンパスペンを使ってモノクロ写真をポチポチ撮っていたにすぎないのだが、その後、高校の写真部に入った時もニコンF2はニコンで一番偉いカメラとして君臨していた。私が入学祝いにゲットしたのはニコマートNT2で、TTLを露出計が組み込まれたFTNの流れをくむ名機だったのだが、この話は今回省略する。

とにかくニコンF2は、絶対的な信頼性を誇り、F3が電子回路を採用したこともあって、極寒の地ではF2の方が信頼できるとプロカメラマンも太鼓判を押した。私も会社を辞めてフリーランスライターになるべく、カナダのアウトドアスクールに入学したのだが、この時に持参したのがニコンFフォトミックSBファインダーのモータードライブ付きブラックモデルだった(photo 05)。
1人、15kg以上の装備を背負っての登山にサブカメラを持つ余裕はなく、レンズも学生時代から愛用していた24mmF2.8をほぼ付けっぱなし。何度も岩壁にぶつけたがF2は壊れることなく記録を続けてくれた。何しろ冒険家、植村直己もニコンを愛用していたのだ。それまで使っていたカメラが移動中にバラバラになってしまい、ニコンに依頼して極寒用モデルを作ったもらった。これが北極点単独旅行に使われたニコンF2ウエムラ・モデルである。、氷点下50度でも作動して、犬ぞりの振動でも壊れないことという彼の条件をクリアーするために外装にチタンを初めて採用。このモデルを元にしてF2チタンが発売された。画像は報道用に使われていたプロ用モデルで、カメラ前面に筆記体でチタンの文字が入ったコンシューマーモデルではない(photo 06)。

[お洒落なF3]


Photo 07
1980年に発売されたF3は、ジウジアーロのデザインに身を包み、電気制御フォーカルプレーンシャッターと自動露出機能を採用した。カメラのボディ側で採光を行う露出制御方式で、NASAの依頼を受けて、F3をベースにスペースカメラも作られたのだ。歴代のFシリーズの中で、モータードライブとのバランスが最も優れているのはこのF3ではないか。モードラ付きでオートで撮れるF3が欲しくなり、プロ用に改造されたF3をゲットした(photo 07)。



[その後のF]

実は私が仕事と遊びに使っていたのは、ニコンF2までで、一生ニコン党と自他共に認めていたのだが、オートフォーカスの時代になってからあっさりキヤノンに乗り換えてしまった。その後のFに関しては所有していないし、使ったこともほとんどない。デジカメが登場するまで、ずっとキヤノンEOS-10+20〜35mmF2.8を使ってきた(photo 08)。とにかく、このズームレンズに惚れ込んで、ニコンを捨ててキヤノンに走ったのだ。当時はこれに匹敵するレンズはニコンになかった。そう、私は超広角レンズが大好きなのだ! COOLPIX5000を購入した理由もワイドコンバージョンレンズを使えば35mmフィルム換算で19mmレンズが使えるからなのだ(photo 09)。


Photo 08

Photo 09


何がニコン的は、これからおいおい語るので、まずニコンの歴史を頭の片隅に置いて欲しい。次回は分かりやすい画角を例にCOOLPIX5000の凄さを検証してみたい。

 


DIME検証工房 TOP PAGE