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増刊『Hi-SPEC DIME』の本編には、まったく関わっていない私だが、けっこう周辺記事はやった。
そのなかの一つに23号の「大夢新聞」がある。

通常はテキストベースにし、FDに保存したものを印刷所に入れる。しかし、カメラの部分はあまりに文章量が少ないので、昔のように手書きにした。

ところがだ。 その原稿のなかに「“一眼レフ”、」(←「」内の“”や、を含む)というくだりがあったのだが、印刷所から出てきてビックリ! なんと新聞には、大きな文字で「“一眼レズ」と書かれていたのである!

すぐさま私は赤を入れた(=校正した)。
よく「一字違いで大違い」と言うけれど、正にこのことだ。


「一字違いで大違い」……そういえば学生時代にも、こんなことがあった。

私は下戸だが、それでも大学時代に何度かは、先輩からベロベロになるまで飲まされた。特に1年生時代には……。そう、学園祭の打ち上げがあった日も、翌日の朝6時前まで、大阪・心斎橋で飲んでいた。

店を出ると、すでに夏の日差しだった。ただ、お店もビルも、まだシャッターを下ろしていて、街は静かなままだ。
私たち一団は電車に乗るべく、心斎橋の西側にある御堂筋まで歩いた。

しばらくすると、朝日を浴びて光る「横浜銀行」の看板が目に入った。その時である……。

「おい、オマエ、ちょっと挑戦してこいや」
顔を赤くした先輩が、となりのNに声をかけた。

先輩は鞄から学園祭で使ったポスターサイズの紙を出すと、マジックペンと一緒にNに手渡した。

「オマエ、これに『ハエ』て書いて、あそこに貼ってこいや!」
言われたNは、なんのことやらわからず、ボーッとしている。


「アホッ! なにボーッとしとんねん! はよ書かんかい!」 どうやら先輩は、「横浜銀行」の「行」の部分に「蝿」の字をかぶせ、「横浜銀蝿」にしたいようなのだ。酔ってはいても、“バカを考える脳みそ”にまで、アルコールは到達しなかったらしい。

「ボケッ! それ、『ハエ』やのうて、『ナワ』やないけ! オマエ、ようそれでウチの学校に入れたのう?」
先輩の目がキラリと光った。
「松元、オマエが書けや」
悪い予感は的中した。

逆らえば何をされるかわからない。私は歩道にひざまづき、マジックを走らせた。

「おい、松元! 書いたやつをNに渡せ! おい、Y! オマエ、Nを肩車したれや」

幸か不幸か、「行」という字は、一番下に位置していたので、肩車をすれば届く高さだったのだ。
朝の6時過ぎに、成人直前の男たちが、なんでこんなことをせねばならんのか……。
そうは思いつつ、一方でおもしろがっている自分がいることも、また確か。ちゃんと「横浜銀蝿」になった看板を見て、「早よ、人通りが多くならんかなぁ〜」と、さっきまで嫌がっていたNでさえ、いつのまにやらノリノリだ。
とにかく通行人の反応を楽しみに、私たちはビルの陰でしばらく様子をうかがうことにした。

ところが、それなりに人通りが多くなったにもかかわらず、意外に気づく人がいない。気づいたとしても、ちょっと笑うだけで、出勤を急いで足早に去っていく。

みな、なんとなくおもしろくなかった。そして、先輩のなかでも最も壊れていることで有名なS先輩が、ついに立ち上がったのだ。

「おい、1年生! オマエとNは、あの看板の下で、『ツッパリHigh school Rock’n Roll』を歌え! オマエとオマエと松元は、それに合わせてツイスト踊れ!」

ガ―――――――――――ン!
いくら1年生とはいえ、どうして朝の通勤ラッシュ、しかも御堂筋のど真ん中で、そんなことができようか。

「なにイヤがっとーんねん? 東京の竹の子族になったと思うてやれ!」
「それはローラー族でしょ?」と、間違いを指摘する気にもならない。したとしても、何の解決にもならない。

結局、酒の力も手伝って、私たちは先輩の命令に従ってしまった。

最初に踊り出したところまでは覚えている。しかし、いつそれをやめたのか……。
今も思い出すことはできない。

確かなのは、あの夏、人生最初で最後のロックンロールを踊ったということだけである。

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