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日曜日、近所のレコード屋に行く。こう書いておいて何なのだが、「レコード屋」という言葉自体、今では口にするたびにバカにされてしまう。なぜなら死語みたいなものだからだ。
というか、すでに別の意味になっている。若い人たちにとっての「レコード屋」は、DJたちが回すお皿を売っている店で、ちょっとニュアンスが違うのだ。
吉祥寺パルコの地下にあるHMVは、いつもながらの混みようだ。店内をフラフラしていると、1枚のCDが目に付いた。ニルバーナの『イン・ユーテロ』だった。
ニルバーナの意味は涅槃(ねはん)。年配の方なら「沖雅也がオヤジを待っている所」として知っているかもしれないが、本来の意味は、仏教においての「理想の境地」といったところだろうか。
しかし、その名とは裏腹に、このバンド自体は、とても心の静寂に達したとは言えなかった。メンバーであるカート・コバーンの自殺で、すべてが終わってしまったからだ。彼は死後、涅槃か天国に、ちゃんとたどり着けたのだろうか?
CDを取ろうと手を伸ばした。すると、なんと別の方向からも同じように、手が伸びてくるではないか!
そして互いの指先が、ちょんと触れた。次の瞬間、その軽く触れあった手を素早く引っ込める……。ちょっと恥ずかしい。
顔を上げる二人……。目の前には……。
目の前には自分と同じように、くたびれたオッサンがいた。無精ひげを先ほどの手で触りながら、テレ笑いをしている。
「そうか、あんたも昔はロックを聴いてたクチか……」。なんだか懐かしい友に再会したような気持ちに……なるわけもなかったが、ある種のシンパシーが走る。
その時である。とんでもないのが現われた。
「あんた、何してんの?」
どうやら彼の奥さんらしい。
「いや、ちょっと買おうかどうかと……」
「買って、どうすんの?」
「“買って、どうする”って、CDだから聴くに決まってんだろうが!」と叫んだのは、件の彼ではない。私の心だった。
「買ったって、しょうがないじゃない」
「“しょうがない”って、どういうことだ? ニルバーナの曲は聴くに値しないということなのか〜!? それにしても、“しょうがない”ってのは、ないだろ?」。これも私の心の声である。
「買ってどうすんのよ? それより、ユウちゃんの受験の本、下に買いに行こうよ」
「ユウちゃんって、誰なんだよ!」。蛇足だが、これも私の心の声である。
心休まるはずだった休日は、この女性の出現で、いきなりヒートアップした。
そもそも他人の奥さんの言動に、いちいち反応すること自体が間違っている。それは充分にわかっているのだ。しかし、私の心にある“何か”が叫ぶ。このままでは、いけない……絶対に。
雄一か裕子かも知りはしない。だが、ユウちゃんもユウちゃんだ。だいたい親に受験の本を頼むとは何事だ!
もちろん、ユウちゃんに頼まれたからといって、ホイホイとそれを受ける親も親である。試験を受けるユウちゃんの試験本を親が買ってどうするのだ?
若い頃の私であれば、(お父さん、あんたも、いろいろ大変だねぇ〜)などと、心の中で笑っていただろう。しかし今は違う。目の前の中年は、明らかに自分の姿でもあり、偉そうに「お父さん」などと呼べはしないのだ。
「あんた、買いなよ、ニルバーナを!」。もちろん、心の中の言葉である。
ジャケットには、ナイスプライスのシールだって貼ってある。1500円……1曲、100円ちょっとじゃないか!
負けるな! 買うんだ! ユウちゃんの受験本も大事だが、このCDだって、それ以上に大事なはずだ! そして我が子ユウちゃんに、ホントに大事なものは何かってことを教えてやるんだ! それが親ってもんだろう?
「頼むから買ってくれ!」
しかし私の心の声は届かなかった。彼は、うつむき加減に笑うと、奥さんとともに、さっさと店を出ていったのだ。
私たちが手にしようとした「ニルバーナ」は、それを覆うプラスチックのケースに油っぽい指紋を二つ付けたまま、そのままの状態になっていた。
「こうなったら、俺が買うしかない」
そう思って手にした。
しかし暫くすると、やはり私も再び棚へと戻してしまったのだ。そして彼と同じく、「ニルバーナ」に別れを告げ、HMVを出たのである。
外はすっかり暗くなっていた。9月もそろそろ終わりだという頃だったのに、まだまだ暑かった。けれど、どんなに暑くても、周囲のディスプレーは、すでに秋の様相を呈していた。
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